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無縁仏への心

 お盆で、我が家の庭でも、たいまつと供え物を置くようにしています。
 毎晩、たいまつに火をともし、線香をあげているのですが、これは「無縁仏」のためのものなんですよね…。
 もっとも、最初の日にともすたいまつは、「迎え火」を兼ねており、仏さんがかえってくるための目印として、欠かせないのだと思いますが。

 無縁のものであっても、わずかばかりながらでも施しの心を忘れない…そういう意味では、この盆の習慣は、かなり深い意味を持っていると思います。
 自分に縁がある人だけで社会が成り立っているわけではない以上、当然のことなのかもしれませんが、今の日本でこれだけ「失われた」考え方も、ないのではないでしょうか?

 自分に関係があるから、関係がないから…だけでは計りきれないような部分への心構えが、結局は自分に関係する部分にも現れてくる(マナーの悪さなどの形をとって)のかもしれないな…と、考えてしまいました。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 こんにちは☆こねこです♪
 
 そうですね。
 人は一人では生きていけないという言葉があるように、出逢ったこともないような人たちのほうがむしろ大切なのかもしれません。

 いつも着る服、食べるもの、車に乗るならそれを作る人たち・・・どれだけ多くの人たちが関わってるかと思うと、亡きご先祖様にも同じような感謝の気持ちを向けることが大事ですね。誰一人欠けても今の自分はいないわけですから(微笑)・・・。

 ねこでした。ニャン☆

お盆の風習が年々薄れていますが、markさんの家ではきちんとお迎えされているのですね。
季節感も大切になさっているし、素晴らしいご家庭ですね。
最近は自分勝手な人間が増えて悲しいことですよね…
ご先祖さまを大切にする家庭が減ってしまったことにも身勝手な人間が増えた要因がありそうですよね…

 こねこさん、ル・シュクルさん、こんばんは。
 ちょっと文章が散漫になっているようですが、意を汲んでいただけたようで、本当に助かります。

 To こねこさん

 一度も出会うことがない人々でも、実は生活のうえでは、その人たちの上に成り立っているというのが、社会というシステムだと思います。
 そう考えると、「自分とは無縁の人」に対して、どれだけ親切にできるかというのは、ひいては社会にどれだけ適合しているかということにもつながるのではないのかな…と、個人的には思っています。
 知らない人には何もしない、という人は、自分の権利を主張するだけの義務を果たしていないことが大半だと感じられて、仕方がありません…。

 亡きご先祖にも、感謝の気持ちを忘れないというお盆の風習、大切だと思います。
 その脈々と連なる系譜の上に、自分という存在があるのですから。

 To ル・シュクルさん

 我が家でも、無縁仏のお供えは、やるかどうかちょっと迷ったそうです。
 (野良猫が、食べに来ることがあるので…)
 今年はやりましたが、もしかしたらやらなくなるときも来るのかもしれません。

 自分勝手な人というのは、意外にも、エゴグラムでは、母性的な精神が高いそうです。
 「自分に縁がある人」に対してしかその心は、発揮されないと考えると、納得できるのかも…。
 大抵、「大人としての精神」が低く、仲間内の結束で、それ以外の人を軽視する傾向にあるというのが、非行少年に共通する傾向の一つ…らしいです。
 彼らには、ご先祖様や、仏様を大切にする心なんて、無いのでしょうね…。

我が家には仏壇もないし、お盆のことも何もしてないので、娘たちは知らないと思います。
これじゃダメですね。。。
ちゃんと 次世代の子供たちにも伝えていかないと。

自分勝手な人、義理人情のない人が多いと思います。
(私は下町育ちなので、特に義理人情は大事にします!)
自分一人で生きてると思ってるのでしょうか?
今の自分があるのはご先祖様がいたからってこと、忘れてしまっている人が多いのかもしれませんね。

こんばんは!いいことですね。
家にも実家にも仏壇が無いので、よく習慣として理解していないことが多いです。
勉強になります。

お祝いのお言葉、まことにありがとうございますです(^^)
私は今日、家族と精籠流しに行ってきました。(字間違ってたらすみません。。。)
先週はおばあちゃんの家に行って、
親族みんなで和気藹々とおじいちゃんの
お墓をきれいにしてきました。
いい供養になったかなぁ・・・
人との縁はとても不思議で大切にしたいものですが、
いろんな人達の行いや人生が折り重なって、
ひとつの布が出来上がるように世の中ができているんだとも考えられます。
こういう節目となる季節に、
過去に生きて旅立っていった人々や、
今時分の周りにいる人たちの尊さを、
毎年省みるようにしていきたいですね。

 のんさん、kussamamatakachanさん、ヒメさん、おはようございます。
 ちょっと興奮気味で、早く目が覚めてしまいました(笑)。

 To のんさん

 お盆、特に迎え火や送り火などは、マンションやアパートではできないところも多いため、だんだんと廃れてしまわざるを得ない風習なのかもしれませんね…。
 せめて、一軒家の我が家では、続けていきたいと思っています。
 弟や祖父が、帰る目印が無くなって、戸惑うのは嫌ですからね。

 義理人情、大切だと思います。
 自分ひとりで生きているわけではないのですから、見ず知らずの人であっても、どのような「縁」があるか、分かりませんからね。
 情けは人のためならずともいいますし、そういう心はしっかりもっていきたいと思います。

 To kussamamatakachanさん

 仏壇も、結構スペースをとるので、今の家ではなかなか置くのが難しいですよね。
 仏さんに毎日線香をあげるというのも、習慣になっていればともかく、なかなか難しいと思いますし…。
 火を扱うので、意外と危険ですし。

 お盆の風習、私も結構うろ覚えだったりします。
 きちんとしたやり方を、今のうちに学んでおきたいな…と、考えています。

 To ヒメさん

 ろうそくのついた灯篭を流す、あれのことですね!
 祖先に、思いが伝わるといいのですが…。

 お墓を綺麗にする、とってもいいことだと思います。
 この暑い中、結構重労働だったのではないでしょうか?
 今では、墓を綺麗にするサービスもあるそうですが、やっぱり自分の手で綺麗にすることに、意味があると思いますからね。

 人の縁、見えないところでまるで織物のように重なり合って、今の自分が存在し、社会が存在しているのだと思います。
 そう考えると、「自分と無関係な人」というのは、むしろ少ないのではないかと、個人的には思ってしまいます。
 人情、大切にしないといけないですよね。

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